最強撃墜王 零戦トップエース西澤廣義の生涯
『最強撃墜王 零戦トップエース西澤廣義の生涯』を読みました。
零戦撃墜王というと、名前が思い浮かぶのは坂井三郎、岩本徹三、そして西澤廣義。
坂井、岩本両氏とも生き抜いて、戦後自らの空戦記録を出していますが、西澤は戦死され手記すら残っていないので、どんな人柄で何を考え行動していたのか分かりません。
昨年の年末、会社の先輩と映画「永遠の0」の話題から零戦撃墜王の話になった時に西澤廣義の事がでました。
西澤廣義の本が出ているとの事で、著者がいろいろ調べて西澤の事を書いたものだといいます。
「本、持っているから貸してやる!」と言われ、年末年始の休みはゆっくりしていたいから「いいです。(結構です)」と言ったにも関わらず、渡されたので年末から年始の休み中時間があれば読んでいました。
長野県小川村出身で、予科練習性で横須賀海軍航空隊へ入隊し、霞ケ浦航空隊を経て卒業。そして大分航空隊にて戦闘機過程の延長教育を受け、その後大村、鈴鹿航空隊にて教員勤務後、昭和16年10月に千歳航空隊へ所属されサイパン、ルオット、トラックを経てラバウルへ。
そして第四航空隊戦闘機隊から台南航空隊へ。ポートモレスビーからガダルカナルの戦いで多くの搭乗員が失われ、台南空の編成替えから内地(日本)へ戻り、再編成と訓練が行われ二五一航空隊として再びラバウルへ。
そして昭和18年11月~昭和19年2月29日まで内地の大村航空隊で飛行学生の教官を務める。
その後、二○三、三○三航空隊を経て北千島の防空任務についていた。
昭和19年10月12日から鹿児島、台湾、比島を経て、マバラカット基地より神風特別攻撃隊 敷島隊直掩隊長として出撃、F6F2機を撃墜し特攻による戦果確認任務を遂行しセブ基地に着陸。
そして輸送機でセブからマバラカット基地に帰還途中F6Fに襲われ、24歳10ヶ月の生涯を閉じました。
おおむね海軍航空隊の英雄列伝に載っている経歴といいますか戦歴をたどった内容となっています。
著者が西澤になり替わり、こんな風に考えていたのではないかというような感じで書かれていますが、空戦に関してはインパクトが薄いように思われました。
西澤は、予測射撃がうまかったようです。敵機の未来位置を予測し、その位置へめがけて射撃し撃墜すると云う事です。
これは、西澤に限った事でなく、坂井三郎氏の著書にも同じような事が書かれています。お互いに動いているのだから今いる所へ撃っても、弾が届く時にはもうそこには敵はいないと云う事。
たぶんこの本の著者が、色々な書籍を読んで参考にしたのではないかと思います。
海軍航空隊の戦闘記録と関係者の取材を元に書いてあるので、どこまで本当でどこから著者のフィクションなのかは分かりません。
内地での女性との色恋沙汰を描かれているのがせめてもの慰めなのかもしれませんが、実際はどうだったんでしょう??
戦争中、ほとんどラバウルとブイン基地で戦闘に明け暮れていたんだなぁと思いました。
特攻隊の直掩任務後、セブ基地にて特攻で使う飛行機が不足しているから、乗ってきた零戦を置いてけと言われ、零戦を渡したばっかりに輸送機ごとやられてしまうとは皮肉なものだと思いました。
結果的に優秀な零戦搭乗員を3名も失う事になったし、西澤くらいのベテランならよほどのことがない限り空戦において撃ち落とされることはなかったろうに・・・。ホントに無念だったと思いました。
西澤氏は人生の青春は戦闘機乗りに捧げたんだなぁ~と思うと、何か切なくなりました。
零戦撃墜王というと、名前が思い浮かぶのは坂井三郎、岩本徹三、そして西澤廣義。
坂井、岩本両氏とも生き抜いて、戦後自らの空戦記録を出していますが、西澤は戦死され手記すら残っていないので、どんな人柄で何を考え行動していたのか分かりません。
昨年の年末、会社の先輩と映画「永遠の0」の話題から零戦撃墜王の話になった時に西澤廣義の事がでました。
西澤廣義の本が出ているとの事で、著者がいろいろ調べて西澤の事を書いたものだといいます。
「本、持っているから貸してやる!」と言われ、年末年始の休みはゆっくりしていたいから「いいです。(結構です)」と言ったにも関わらず、渡されたので年末から年始の休み中時間があれば読んでいました。
長野県小川村出身で、予科練習性で横須賀海軍航空隊へ入隊し、霞ケ浦航空隊を経て卒業。そして大分航空隊にて戦闘機過程の延長教育を受け、その後大村、鈴鹿航空隊にて教員勤務後、昭和16年10月に千歳航空隊へ所属されサイパン、ルオット、トラックを経てラバウルへ。
そして第四航空隊戦闘機隊から台南航空隊へ。ポートモレスビーからガダルカナルの戦いで多くの搭乗員が失われ、台南空の編成替えから内地(日本)へ戻り、再編成と訓練が行われ二五一航空隊として再びラバウルへ。
そして昭和18年11月~昭和19年2月29日まで内地の大村航空隊で飛行学生の教官を務める。
その後、二○三、三○三航空隊を経て北千島の防空任務についていた。
昭和19年10月12日から鹿児島、台湾、比島を経て、マバラカット基地より神風特別攻撃隊 敷島隊直掩隊長として出撃、F6F2機を撃墜し特攻による戦果確認任務を遂行しセブ基地に着陸。
そして輸送機でセブからマバラカット基地に帰還途中F6Fに襲われ、24歳10ヶ月の生涯を閉じました。
おおむね海軍航空隊の英雄列伝に載っている経歴といいますか戦歴をたどった内容となっています。
著者が西澤になり替わり、こんな風に考えていたのではないかというような感じで書かれていますが、空戦に関してはインパクトが薄いように思われました。
西澤は、予測射撃がうまかったようです。敵機の未来位置を予測し、その位置へめがけて射撃し撃墜すると云う事です。
これは、西澤に限った事でなく、坂井三郎氏の著書にも同じような事が書かれています。お互いに動いているのだから今いる所へ撃っても、弾が届く時にはもうそこには敵はいないと云う事。
たぶんこの本の著者が、色々な書籍を読んで参考にしたのではないかと思います。
海軍航空隊の戦闘記録と関係者の取材を元に書いてあるので、どこまで本当でどこから著者のフィクションなのかは分かりません。
内地での女性との色恋沙汰を描かれているのがせめてもの慰めなのかもしれませんが、実際はどうだったんでしょう??
戦争中、ほとんどラバウルとブイン基地で戦闘に明け暮れていたんだなぁと思いました。
特攻隊の直掩任務後、セブ基地にて特攻で使う飛行機が不足しているから、乗ってきた零戦を置いてけと言われ、零戦を渡したばっかりに輸送機ごとやられてしまうとは皮肉なものだと思いました。
結果的に優秀な零戦搭乗員を3名も失う事になったし、西澤くらいのベテランならよほどのことがない限り空戦において撃ち落とされることはなかったろうに・・・。ホントに無念だったと思いました。
西澤氏は人生の青春は戦闘機乗りに捧げたんだなぁ~と思うと、何か切なくなりました。
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